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ただ、あなたに生きて欲しいと願い、その幸せを祈る。
私の考える『幸せ』とあなたのそれとが、必ずしも同じであるとは限らないけれど――…
アルカディアに災厄をもたらす存在の根源となるエレボスを倒した後。
女王になると宣言したアンジェリークは、宇宙意思の計らいによって仲間たちと別れの挨拶をしていた。
陽だまり邸で共に暮らしてきた四人、一人一人に、心からの感謝を伝えていく。
(もう、皆と………ニクスさんと、会えなくなるかもしれないのね)
二百年もの間エレボスの核にされ、一人孤独の中で生き続けてきたニクス。
彼はエレボスから解放され、ようやく普通の人間としての時間の流れに戻る事が出来た。
アンジェリークは、彼がどれ程それを望んでいたのかを理解していた。
そしてニクスも二百年の間に、様々な伝承を調べていく中で知っていた。
女王となった者はその役割を終えるまで、悠久に感じられる程の永き時間を生きる運命なのだと。
(これが私たちが共に居られる、最後の時なのかもしれませんね……)
一度決めた事は覆せない。
焦がれる胸の内を伝えたところで、相手が困るだけだ……二人はお互いにそう考えた。
相手への熱い想いを胸に秘め、アンジェリークとニクスは最後に再び言葉を交わす。
「ニクスさん……今まで本当に、ありがとうございました。ニクスさんにお会いする事が出来て、本当に本当に…嬉しかったです」
どこか寂しそうに微笑む彼女の瞳には、涙が滲んでいた。
抱きしめて腕に閉じ込めてしまいたい――
そんな衝動を抑え、ニクスはアンジェリークの波打つ水色の髪をそっと撫でる。
「私も貴女という女性に出会えた奇跡に、心から感謝していますよ……アンジェリーク。願わくば貴女の治世が、幸せと喜びに満ちたものになりますよう―――私も命ある限り、及ばずながらそのお手伝いはさせて頂きますから……貴女はどうか、幸せでいて下さい」
「ニクスさん……………」
アンジェリークと仲間たちは、こうしてそれぞれの道を歩む事となった――
そしてアンジェリークが女王となって早数年、アルカディアは慌ただしくはあったが幸福そうな人々の笑顔で希望に満ち溢れていた。
女王誕生後、かつての政府は財団の暴走を止められなかった責任を取らされて国の重鎮は当時からの反対派―主に教団支持者だが―を除き、ほとんど入れ替わる事となった。
そのような慌ただしい中で発足した新政府は、各地の名士たちを招いて親睦を深める為の舞踏会を開催した。
その席に招かれていたニクスは、懐かしい声に振り向く。
「これはこれは…お久しぶりですねレイン君、ヒュウガ」
「二人とも、元気そうで何よりだ」
「噂は聞いてるぜ。随分あちこち駆け回ってるそうだなニクス?」
レインは財団理事としての、ヒュウガは銀樹騎士団の聖騎士としての正式な衣装に身を包み、貴族達も多く参加しているこの場の雰囲気に馴染んでいた。
立場は変わっても互いへの信頼は変わる事無く、三人は再会を喜び合う。
ニクスの住む陽だまり邸でアンジェリークと共に仲間として暮らし、タナトスと戦ってきた彼らは、彼女が女王となってからもアルカディア中から注目を集めていた。
生憎とジェイドは来ていないようだったが、旅を再開した彼は時折仲間たちに各地の様子を知らせてくる為、きっと元気にしているのだろう。
「貴方の噂も聞いていますよ。新しい財団理事になって以来、休む暇も無いそうですね」
レインの顔は最後に会った時と比べて、少し疲れているようにも見受けられた。
気遣わしげにニクスが言うと、レインはばつの悪そうな顔をして肯定する。
「……まあな。財団はあれだけの事をやったんだ、無理もないさ」
「お前の働きぶりは教団本部にも届いている。だが、無理をし過ぎて体は壊すな」
「ああ。休める時にはしっかり休むようにしてるぜ俺は。むしろ無理が祟って体を壊すのは、ニクスの方じゃないのか?」
アンジェリークが女王となってからというもの、ニクスは教団、財団、新政府、各市町村の代表者達の架け橋となってあちこちを駆け回っていた。
その忙しさは、教団に戻って聖騎士の叙勲を受けたヒュウガや、財団に戻ってヨルゴに代わり理事となったレインの比ではないと聞く。
一度コズに戻ってから再び各地を旅して回るようになったジェイドが、彼をしきりと気遣う手紙を二人に寄越してきていた。
「あ、そういえばジェイドが随分心配してたぞ?お前が命を狙われてるんじゃないかと」
レインの言葉に心当たりがあるのか、ニクスは苦笑しながら答える。
「ああ、その事ですか。そうですね……訪ねた先で出されたものに毒物が入っていた事が確かに何度かありましたが、大丈夫ですよ二人共?」
平然とした顔で言ってのけるニクスに、二人は驚きと呆れが入り混じった表情を見せる。
「……ちょっと待て。それは大丈夫とは言わないだろう」
とレインが、
「同感だ。今のアルカディアにおいて、お前の存在はかなり重要な位置にある。そんなお前を狙う輩に心当たりはあるのか?」
とヒュウガが言った。
ニクスは二人のそれぞれの反応に満足したのか小さく笑うと、ヒュウガの問いに答える。
「一応毒を盛られる度に犯人探しはしていますし、あらかた目星はついていますよ。実行犯は複数なので絞り込めそうもありませんが……裏で糸を引いているのは、私の存在がお気に召さない人物。それもあちこちに繋がりを持っている者は、そう多くありません」
「………まさか、ヨルゴか?!」
「違いますよレイン君。ヨルゴ氏はその後協力的ですし、私を始末しては彼にとって都合が悪いのです。彼が真犯人という可能性は、まずありませんよ」
嫌な汗を掻きながら訊ねるレインに、ニクスはきっぱりと言い切る。
レインは知らないが、ヨルゴは財団理事の座を彼に譲った後は決して表に出ること無く、ニクスの協力のもとで影ながら財団の信頼回復に努めているのだ。
『私は汚れ役でいい。結果的に、財団が世界の為に存続できるならばな……』
そう呟いた彼の信念を知ればこそ、言い切れる事でもある。
「あいつにとって、どう都合が悪いんだ?」
「今はお話できませんが、決して教団や財団、延いてはアンジェリークやアルカディアの人々を困らせるような類のものでは無いと保証しましょう」
「お前がそう言うなら、時期が来るまで言いそうも無いが…しかし舞踏会なんかに来て、本当に大丈夫なのか?」
「陽だまり邸に居ても同じ事ですよ。今のところ食事に毒こそ入ってはいませんが、邸に忍び込もうとする者も最近は目立ってきてますからね」
眉を顰めるヒュウガに、ニクスは詳しく説明を加えた。
ニクスは自分が死ぬ事で最も得をする者と、その周囲の人間関係はしっかり調べてある。
裏で糸を引いているのは新政府の重鎮の一人だと、既に判明していた。
彼とてアルカディアにとって大切な今この時期に、むざむざ殺されてやるつもりはない。
今日の舞踏会は人が多く、警備は万全とはいってもどこかで隙ができるもの。
まして主催側に、実行犯を手引き出来るほどの立場の人間が居ればなおさらだ。
急病で倒れたと装ってニクスを殺すには、今日の舞踏会はもってこいだと思われた。
相手は確かな実力を持つ新政府にとっては現在必要不可欠な人物の為、なるべく穏便に事を済ませたい……ニクスは二人にそう告げた。
それに―――
「彼は前から私を快く思っていなかった節があるとはいえ、殺したい程憎む理由が分かりませんし……………ね。理由を訊いてみたいのですよ」
「話し合いで解決するようなら、そんな手段に訴えたりしないと思うがな……」
「あの者は俺も知っている…教団と関わりが深いからな。レイン、お前も気をつけた方がいいかもしれない。財団を酷く嫌っているからな」
「そうそう、これから食事は銀食器で摂る様にするとかね?」
本気で心配して真面目に語るヒュウガと、命を狙われている割に楽しそうで余裕すら感じさせるニクス、二人の顔を交互に見てから、レインは大きくため息を吐いた。
「おや、慣れない舞踏会で疲れましたか?」
「お前………何でそんなに余裕綽々でいられるんだ?普通はもっと緊張するだろう!?」
「俺もそれは気になったが……」
「ありがとうございます、二人共。私が余裕で居られているとしたらそれはきっと――」
そこで言葉を区切るニクスを、レインとヒュウガは訝しげに見る。
ニクスはどこか遠くを見るような目で、ぽつりと呟いた。
「きっとあなた方が、一緒に居て下さるからでしょうね……それに、私を毒殺しようなど二百年早いですから……………だから、大丈夫です」
彼の言葉に、二人は何とも言えない顔をした。
エレボスに取り憑かれていた二百年の間に、死のうとして服毒した事もあったのだろう。
二人の様子に気付いたニクスは、いつも通りの優雅な微笑みを向ける。
その笑顔は、とても幸せそうで……………どこか、寂しそうに二人には見えた。
「あの頃に比べれば、今の私は本当に幸せだと思いますよ」
頼りになり、何かあった時は心から心配してくれる仲間が居る。
誰よりもかけがえのない、大切な人の為に、自分に出来る事がある。
それはとても幸せな事。
しかし―――これから彼女は、かつて自分が味わった孤独を経験する事になるだろう。
普通の人間よりも遙かに永い時間を、ほとんど年をとる事無く………
(……………アンジェリーク)
彼女は今、宇宙意思と共に、天空の聖地からアルカディアを見守っているだろう。
最後に言葉を交わした彼女の姿を思い出す度、ニクスの胸は熱く燈る。
幸せになって欲しいと思う。
女王でいる間も、役割を終えて一人の人間に戻る時が訪れても。
「その為には私が生きている間に、出来る事をしなければ………」
思わず声に出てしまった事に気付き慌てて口を押さえたが、レインもヒュウガも会場内で起きた騒ぎに気を取られて、聞こえてはいなかったらしい。
騒ぎに気付かぬ程に思考に耽ってしまったのかと、ニクスは自嘲気味に笑う。
その時だった―――
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2007.5.13 UP
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